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「ソウルはなぜオリンピック開催権を獲得したのか ―開催における日本と韓国の誘致活動比較―」

 

 本論文は、1988年のオリンピック開催地決定における政治過程を分析したものである。特に、開催候補地として有力であった、名古屋とソウルという二つの都市を取り上げ、それぞれの都市がどのような活動を展開したかについて比較分析している。具体的には、双方の地域がオリンピック開催にどのような思惑をもって臨んだか、また、どのように誘致活動をおこなったか、そして、それにより、なぜ開催地がソウルに決定されたのかについて考察している。

 韓国ソウルでのオリンピック開催決定に至るまでの政治過程については、すでに韓国側の先行研究がいくつかある。しかし、名古屋については、日本側の研究も含めてほとんど研究がなされていない。本論文の著者は、先行研究である韓国語文献や論文、および政策決定者らの回想録のみならず、新たに機密解除された韓国外務部史料についてもソウルの外交史料館において収集している。また同時に、名古屋市での現地調査も行い、名古屋市側の歴史資料の収集も行っている。このように現地に足を運んだ丹念な歴史史料の収集から、名古屋およびソウル双方の誘致活動の比較分析を行い、なぜ名古屋が選ばれずにソウルが選ばれたのか、説得力を持って結論付けている。とくに、本論文が結論として着目している部分は、双方の政治体制の違いである。開催誘致活動時の韓国側はまだ軍事政権であり、そのため開催反対運動が行われにくかった点を挙げる。著者はそれがソウル開催につながった主要因であることを、頻繁に開催に対する反対運動が展開された名古屋との比較から論証している。

 現段階で韓国側の先行研究では、主に、ソウル側の動向に焦点が合わされているものの、名古屋側の動向については十分に捕捉されていない。その意味で、催地として有力であった名古屋側の動向分析が不十分という先行研究の足りない部分を補っているこの論文は、術的にもオリジナリティーを有しているといえる。それゆえ優秀論文とする。

 

「日本の差別 ―沖縄と北海道からの変容と源流を探る―」

 沖縄とアイヌへの差別問題を歴史的に取り上げながら、日本の民族差別についてその問題の変容と淵源について考察している。戦前の「人類館事件」から分析をはじめ、戦後においては、沖縄とアイヌに対して、日本政府が「先住民族」として認定するかどうかの問題と絡めて論じている点が興味深い。惜しい点としては、アイヌ問題について北海道での現地調査ができず資料の収集が限定的になってしまった点である。

 

 

「米中関係 ―レジームの変容と戦争発展の可能性―」

 現代の米中関係について、「国際レジーム論」と「トゥキディデスの罠」論(G・アリソン)の分析枠組みを用いて分析した意欲作である。理論と実証の双方からアプローチするというハードルの高い課題に挑戦した点を評価したい。レジームの「揺らぎ」はあるものの、米中が「「トゥキディデスの罠」に陥る可能性は少ないとした結論にも、知的考察を深めた跡が垣間見える。

 

 

「第二台湾海峡危機と核兵器 ―沖縄・日本・米国・中国の四者認識と権力構造―」

 1958年の第二次台湾海峡危機について、機密解除された新史料も使用し、当時の米国・中国・日本・沖縄の動向について接近した国際関係史的研究である。米国側の新資料を使用している点、また、沖縄側の政治状況についても述べているが評価できる。一方で、中国側と日本側については、史料的壁もあり十分に接近しきれていないが、しかし、マルチアーカイブ作業が必要なこのテーマに挑戦し考察を深めたことを評価したい。

 

「キューバ危機とロシア・ウクライナ戦争の比較から見る戦争回避の要因 ―ウォルツの3つの分析を用いた―」

 

 米ソ全面戦争の危機を逃れた「キューバ危機」の分析から、現在の「ロシア・ウクライナ戦争」のエスカレーション回避方法を考察する、いわば、「歴史の類推」から考えるという部分にオリジナリティーがある。さらに、キューバ危機とロシア・ウクライナ戦争の分析には、K・ウォルツの分析の「レベル分け」を用いている。そのため、論旨の展開がわかりやすく整理されている。エスカレーション回避の方法に関しての結論部分に「対話」の役割についてさらに踏み込んで論じれていれば、さらにいい論文になったであろう。

 

 

「『コザ暴動』に対する報道の比較 ―表記と新聞社の関連性―」

 「コザ暴動」と表現すべきなのか、それとも、「コザ騒動」なのか、「コザ事件」と呼ぶのが適当なのか?揺れる新聞社のこの出来事に対する「表記」に着目し、新聞各紙の分析から、その認識の差に注目する論文である。報道においてどういう言葉が使用されているかについて、「琉球新報」、「沖縄タイムス」のみならず、全国紙も含めて、年代別に用語使用の変遷を紐解き、この事件についての認識の差異を明らかにした点にオリジナリティがある。用語使用の量的比較も統計的に示すことから説得力を持った論理展開となっている。

 

「『大学推薦入試フィルター』を通してみる韓国社会 ―私教育費の膨張・格差社会・超少子化―」

 

 いまや、韓国での大学入試の7割近くを占める「推薦入試」に注目し、そこから韓国社会を考察している点にオリジナリティーがある。資料としては、韓日の大学生へのインタタビュー、さらには、韓国語文献も駆使している点が評価できる。韓国の推薦入試について、日本の大学推薦入試とも比較することにより、比較文化論的に韓国社会の分析に切り込んでいる点が、読ませる内容となっている。少子化の進行とともに、推薦入試の行き過ぎによって、逆に、一般入試を増やそうとしている韓国政府の路線転換について指摘している。この点は、現在の日本の大学入試の在り方を考える上でも参考になりそうである。

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