五百旗頭真(神戸大)
<毎日新聞2001年11月18日朝刊>
何と多くの錯誤と愚行が見られるか
第二次世界大戦が二十世紀を半分以上残して終結した時、世紀後半の世界史のほとんどが米ソ両陣営の「冷戦」に費やされようとは、誰が予想したであろうか。
「冷戦」の正面はヨーロッパであった。その地での衝突は、ベルリン危機にせよキューバ危機にせよ、人類絶滅戦争の一歩手前で回避された。その名にふさわしい「冷戦」に踏み留まったのである。
アジアは違う。裏庭では、かえって冷戦は「熱戦化」した。両陣営を背にした地域限定戦争が、朝鮮半島やベトナムで苛烈に火を噴いた。
とりわけ朝鮮戦争は、準戦時体制たる冷戦構造を確定するうえで世界史的意味をもった。戦後世界の運命を規定するうえで最大の事件であったと言ってよい。それでいて、朝鮮戦争が、なぜ誰によって始められたのか、多くが謎に留まっていた。
北が侵攻した、否、南が先に挑発した、否、自然発火状態であった等々、冷戦プロパガンダ合戦も参入して、甲論乙駁(こうろんおつばく)状態が長く続いた。やがて北のはなばなしい南進の成功は、準備なしに不可能であるとの認識が一般化した。ではスターリンの策謀が事を動かしたのか、中国革命に成功した毛沢東の主戦論が引っぱったのか、はたまた金日成が自作自演したドラマであったのか、冷戦期を通じて不分明のままであった。
それに対する解答は、冷戦終結に伴う共産圏の資料公開によって可能となった。朱建栄『毛沢東の朝鮮戦争』は中国側の政策決定過程をはじめて明るみに出し、和田春樹『朝鮮戦争』がロシア政府が公開した旧ソ連公文書をも用いて歴史の再構成を試みた。
そして本書である。本書によって、朝鮮戦争の実体が丸裸同然になったと言ってよい。
スターリンのモスクワ、毛沢東の北京、金日成の平壌のやりとりが時々刻々の外交交信によって綴(つづ)られている。著者のトルクノフ教授が論点に沿って各章別に公文書をならべ、各章の文書が意味していることを簡潔に口をはさむ形で本書の記述は展開する。事実をして語らしめる手法である。新鮮な素材を大事にする〓さしみの手法といってよいだろう。もう少し背景説明が欲しいという読者には、訳者でもある下斗米教授の意をつくした多面的な解説が有益である。
さて、本書が明らかにした歴史の真実は何か。
まず、朝鮮戦争の提唱者は明瞭に金日成であった。わが手で統一させて下さいと執拗(しつよう)にスターリンに懇請し続けた。スターリンは対米関係を破綻させ、ソ連に危険を招くわけにいかないと抑えていたが、五〇年四月、ついに許した。西側でよく言われるアチソン演説が米国の不介入を示唆したといった言及は見当たらない。もっぱら中国革命の成功が、国際政治の力関係を変えたと共産側に判断させ、大きな自信とはずみを与えた結果とされている。夢としか思えなかった自国の革命に成功すると、続いて世界も変えることができるとの妄想を懐き、大戦争を引き起こして悲劇を招く歴史が稀でない。朝鮮戦争は共産陣営にとってそのような思春期の蹉跌(さてつ)であったらしい。また、朝鮮戦争は大国が現地の小国にやらせたというより、現地の小国が大国を引きずり巻き込んだ第一次大戦型の開戦経緯だったことが明らかである。韓国の李承晩大統領もまた北進を叫び、挑発行動を繰り返して、米国を引きずろうとし、かえって米国から警戒されていた。
開戦時の共産三カ国の認識について気になるのは、米国の過小評価である。その点、かつての日本帝国陸軍と(おそらくは九一一テロ攻撃を行った者も)同じく、アメリカの自由で多様な民主主義社会は厳しい戦争に耐えないと甘く見ていた。中国内戦にも腰を入れて介入出来なかったアメリカは朝鮮半島に来られまい。むしろ日本軍を送り込むのではないか。戦後日本の変化を夢想だにしない共産国指導者はもはや存在しない「日本軍国主義」を警戒し、「米軍は日本軍よりも弱い」という驚くべき想定を口にする。
武器を金日成に与え、毛沢東に参戦を勧めつつ、自国は危険水域の外に身を置く用心深い国益政治家スターリン、それでいて金日成に「スターリンは法律」と言わしめる絶対的権威にして最終決定者であるスターリン。揺れ動きつつも参戦を決断し、金日成率いる軍が壊滅状況にあったのを救い、大きな犠牲を払って戦線を膠着(こうちゃく)状態に持ち込んだ毛沢東。米軍の圧倒的な空爆と火力によって中朝の兵士が日々吹き飛ばされ、それゆえ毛と金が和平を切望するのに対し、ライバル米国が朝鮮戦争の泥沼に苦しみ続けることに利益を見出して、和平を許さないスターリン。
戦争という重大な行動には何と多くの錯誤と愚行がちりばめられていることか。アフガニスタンの戦争が進行する中で読んだだけに感慨深いものがあった。
(下斗米伸夫、金成浩訳)